【孝行】…忘れかけている日本文化

まずは江戸時代の末期に生まれた二宮金次郎の話を聞いて下さい。
尋常小學終身書巻三 四 孝行
二宮金次郎は家がたいそう貧乏であったので、小さいときから父母の手助けをしました。
金次郎が十四のとき、父が亡くなりました。
母は暮らしに困って金次郎と次の子を家におき 末の乳飲み子を親類に預け ました。
しかし母はその日から預けた子のことが気に かかって、夜もよく眠れま せん。
「今頃は、目を覚まして乳を探して泣いているで あろう」
と思うとかわいそうでなら なくなり、いつもこっそり 泣いていました。
金次郎はそれに気がついて 「おかあさん。どうして お休みになりませんか。」
と聞きましたが、母は「心配しないでおやすみ。」と言うだけでした。
金次郎は「これはきっと預けた弟の ことを心配していらっしゃ るのに違いない」と思って
「おかあさん、弟をうちへ
連れて帰りましょう。 赤ん坊がひとりぐらい いたって、なんでもありま せん。私が一生懸命に働き ますから。」と言いました。
母はたいそう喜んですぐに親類へ行って、赤ん坊を連れて戻りました。親子四人は、一緒に集まって喜び合いました。
孝行を辞書でひくと、「親を大切にする事。親と同じように人を大切にする事」と出てきます。
日本語としてはこのような定義ですが、中国の故事では次のような話があります。
母親が病気で苦しんでいるときに、衰弱した母を哀れんで子が自分の太ももの肉を削ぎ落とし食べさせた。
これが中国式の親孝行です。
親のため自分の身を削ぎ落とし親に尽くすのは、もしかして親孝行かもしれません。
しかしこれで母は救われるかもしれませんが、子は苦しみを味わう事になります。
中国では誰かの幸福が、誰かの不幸の上に成り立ってます。
一方、二宮金次郎の話では「親子四人は、一緒に集まって喜び合いました。」と締められてたように、最後には皆が幸せになります。
つまり日本式の孝行とは、自分の行いが相手と自分を幸せにする事です。
また辞書に「親と同じように人を大切にする事」と書かれている通り、親だけではなく他人に対しても行うべき事です。
目上とか目下とか、そういった括りで孝行をするものではありません。
ところで、人生でうまくいかないときに、誰も助けてくれないと嘆く事があるかと思います。
誰も助けてくれないのは、みんなが冷たいからではないかもしれません。
自分が他人に孝行していれば、他人は自分に対して孝行してくれるはずです。
他人が自分に尽くしてくれない時、誰かを攻めるのではなく、他人に孝行しなかった自分を反省する事が大切なのではないでしょうか?