12年の時間を越えて掴んだ東北の切符

その瞬間、私は無意識に両手を天高く突き上げて立ち上がっていた。
ボールがコートに弾む甲高い音が、地を這うような歓声にかき消されていく。

2026年、山形県中体連。高畠中女子卓球部が、ついに県王者の座に就いた。
抱き合って喜ぶ選手たち。
彼女たちのもとへ歩み寄る私の視界は、いつの間にか熱いもので滲んでいた。
喉の奥から絞り出すようにして伝えたのは、たった一言だった。

「ありがとう」

言葉にすると、それだけだった。
しかしその一言の背景には、偶然から始まり、人との縁に導かれ、幾多の悔しさを飲み込んできた「12年」という果てしない歳月が流れていた。

時計の針を2010年まで巻き戻す。


すべては、ささやかな偶然から始まった。私がかつて卓球をしていたことを知らないはずの長男が、中学に入ると「卓球部に入る」と言い出し、そして部活外の活動である「高畠二中卓球夜連(高二夜連)」にも参加したいと言う。

保護者として付き添い、体育館の隅で球拾いをするのが私の役目だった。
合併前の高畠二中の体育館は、一部の照明の調子が悪く、どこか薄暗かった。その薄明かりの中で、ひたむきに白球を追う子どもたちの姿をただ見つめていた。

ある日、私の経験を知ったメインコーチの嶋倉さんから「球出しを手伝ってほしい」と声をかけられた。
それが、私が指導者という人生の迷路に足を踏み入れた瞬間だった。

2014年、嶋倉コーチの還暦をサプライズで祝おうと、私が中心になってOBたちに声をかけた。
そこで出会ったのが、後に男子のメインコーチとなる五十嵐さんだった。
出会って間もなく、五十嵐コーチは男子メンバーの前で、途方もない目標を掲げた。

「東北大会を目指すぞ」

当時、地区には県3位のメンバーを擁する圧倒的な強豪・川西中が君臨していた。
地区予選さえ突破困難な状況で、その言葉はただの夢物語に聞こえた。
しかし、五十嵐コーチの熱は子どもたちに伝染し、チームは急速に力をつけていく。
翌2015年、ついに地区優勝。

だが、県大会で立ち塞がったのは、学区外から選手を集めた強豪・鶴岡二中だった。
「勝てないのか」

不条理とも言える現実を前に、敗れた会場で、私は一人、静かに涙を流した。
悔しさが胸の奥で澱のように沈殿し、やがて、冷めない熱へと変わっていった。

「いつか、絶対に東北へ行ってやる」

これが、私の心に深く刻まれた夢の始まりだった。

しかし、夢までの道のりは、果てしなく遠く、孤独だった。
五十嵐コーチが男子を担当し、私は嶋倉コーチとともに女子の指導にあたった。
だが、地区さえ抜けることができない。県大会に出ても初戦敗退。
2020年にはコロナ禍により、大会そのものが奪われた。

ようやく最強の布陣が揃った2021年。
準決勝で激闘の末に敗れた。


本来なら3位でも東北大会へ進めるはずが、コロナ禍による特例で出場枠が「2」に削られており、私たちはあと一歩で涙を呑んだ。
追いかけるように、嶋倉コーチが奥様の体調不良のために中学校の外部コーチを勇退されることになった。

頼む


そう言って渡されたバトン。
私は高畠中のベンチコーチとして、正式に夢を背負う立場になった。

だが、背負った途端に風当たりは強くなる。
2022年の初戦敗退。
2025年は3位決定戦で敗れ、またしても「あと一歩」に泣いた。


子どもたちの中には、卓球を続けることが苦しいと吐露する子もいた。
表には出せないようなトラブルや、チーム内の葛藤も度々起こった。
私一人の力では、とても支えきれない重圧だった。

そんな中、現在の顧問の高畠中にやってきて、支え会える関係を構築できた。

生徒たちが帰ったあとの静かな練習場。
あるいは県大会前夜、遠征先のホテルの狭い一室。
私たちは、何度もも話し合った。
指導法、戦術、そして何より「子どもたちの心をどう守り、どう整えるか」。

象徴的だったのは、今大会の準決勝、金井中とのオーダー決定の瞬間だった。
私たちが導き出した結論は、エースをあえて後半(3番、4番、5番)に配置する「後半勝負」のオーダー。
これは大きな賭けだった。


もし前半でストレート負けを喫すれば、エースを一度もコートに立たせることなく、0-3で完敗するリスクがある。
そうなれば、周囲や保護者から「なぜエースを最初に出さなかったのか」と激しい非難を浴びることは火を見るより明らかだった。

しかし、「どんな結果になっても、後悔はしない」と二人で納得し結論を出した。

それは、自分たちが信じて指導してきた子どもたちへの、絶対的な信頼が生んだ覚悟だった。
周囲の批判をすべて背負う覚悟で、私たちはベンチに入った。
結果は、生徒たち力と支えてくれたみんなの応援で見事な勝利。
あの夜、ホテルの部屋で先生と退路を断って挑んだからこそ、掴み取れた勝利だった。

そして迎えた決勝戦。
あの薄暗い高畠二中の体育館で球拾いをしていた私が、いま、まばゆい光に照らされた県大会の舞台で、両手を挙げて叫んでいる。

12年という歳月は、決して平坦ではなかった。
長男が卓球部に入らなければ。還暦祝いをしなければ。五十嵐コーチや顧問の先生との出会いがなければ。そして、苦しい時期を一緒に乗り越えてくれた歴代の生徒たちの涙がなければ、この日は絶対に訪れなかった。

優勝旗を抱え、誇らしげに胸を張る子どもたち。
彼女たちの目は、もうすでに、その先にある「東北」の舞台を見据えている。

12年間、決して消えることのなかった「東北へ行く」という思い。
暗闇の中でも、強く願い、決して諦めずに思い続けることで、夢は必ず現実のものとなる。
そのことを、目の前で笑い合うこの子たちが、私に教えてくれた。

「夢は、強く願い、思い続けることで叶う」

使い古された言葉かもしれないが、12年の歳月と流した涙を経て、私は今、その本当の重みを知っている

しかし、この東北大会という切符は、決して私一人の力や、今のチームだけで掴み取ったものではない。
あと一歩で涙を呑みながらも、卒業後に体育館へ足を運び、後輩たちのために球出しや練習相手を務めてくれた歴代の先輩たち。
君たちの流した汗と託した思いが、間違いなくこのチームの土台になっている。

どんな苦しい時も私たち指導者を信じ、時には「後半勝負」というヒリヒリするような決断さえも受け入れ、温かく見守ってくださった保護者の皆様。
嶋倉コーチ、五十嵐コーチ、顧問の先生、そしてこの12年間で出会ったすべての指導者や対戦相手の皆様。
誰一人が欠けても、今日のこの日は訪れなかった。

そして何より、重圧に負けず、最高の笑顔でこの優勝を勝ち取ってくれた今の生徒たち。
私を東北大会へ連れてってくれて、本当にありがとう。

すべての人との縁が繋がり、重なり合って、ひとつの夢が形になりました。
心からの敬意と、ありったけの感謝を込めて。

ありがとう

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