【禮儀】…忘れかけてる日本文化

礼儀の礼という漢字はもともと「禮」という字でした。

禮の音読みは「うやまう」で、その字の構成はしめすへんに豊か。

要するに禮は、相手を敬い豊かに示すという意味で、儀が作法といういう意味だから、

礼儀というのは相手に敬う気持を豊かに示さなければなりません。

しかし現在の礼儀は、慣習によってその形式が整えられているもの、

つまり儀礼に成り下がっているような気がします。

また、もともと日本の昔の教育では、目上の人はもちろん、同世代、年下の人に対しても、どんな人にも敬う気持ちを持ち、かつそれをお互いに持つことが必要だと教えられてきました。

しかし現在では目上の人への礼儀が重視され、目下の人には横柄な態度をとっても許されてしまいます。

親しき仲にも禮儀あり…この言葉意味をもう一度考えてみたいです。

尋常小學終身書巻四 第二十四「 禮儀」

人は誰でも、つつしみの心を持ち、禮儀を正しくしなければなりません。
つつしみの心がなく禮儀が正しくなければ、どんなに学問が出来ても、
またどんなに仕事が上手でも人から相手にされないようになります。
世の中は禮儀で経って行く ものです。

人に対しては言葉遣いを丁寧にし、身なりに気をつ けなければなりません。
とりわけ目上の人の前に 出たりするときに大切です。
また、人の集まっていると ころでは、出来るだけ静か にし、
人の前であくびを したり、めくばせをしたりひそひそ話をしたりして
人に不愉快な心持ちを起こさせてはなりません。

人に手紙を送るのは、話を するのと同じことですから
言葉遣いに注意をするのは もちろん、文字も丁寧に はっきりと書くことが大切 です。
人から手紙を受け取ったと きには、
決して粗末にせず 返事のいるものはすぐに 返事を出すようにしなけれ ばなりません。
人が手紙を書いているのを 覗いたり、
人にあてた手紙 を、許しを受けずに開いて たりしてはなりません。

その他、人の話を立ち聞き するのも、人の家をすき身 するのもよくないことです。
人と親しくなると、禮儀を 忘れて、何事もぞんざいに なりやすいものですが
どんなに親しい仲でもお互いに禮儀を守らなけれ ば、長く仲良く付き合うこ とはできません。

親しき仲にも禮儀あり。

上記を現代風に言い換えると…

現代風「禮儀」

人は誰でも、控えめに振る舞う気持ちを持ち、禮儀正しくしなければなりません。
控えめに振る舞うという気持ちがなく、禮儀が正しくなければ、どんなに素晴らしい大学を出ていても、
またどんなに凄い職についてたとしても、相手にされないようになってしまいます。
世の中は禮儀を重ねて時間が過ぎていくものです。

人に対して言葉遣いを丁寧にして、身だしなみに気をつけなければなりません。
特に目上の人の前に出るときには大切です。
また、人の集まっているところでは、できるだけ静かにし、
人の前であくびをしたり、目配せしたりヒソヒソ話をしたりして、
人に不愉快な気持ちを持たせてはいけません。

誰かにLINEを送るのは、フェイス・トゥ・フェイスで話をする事と同じことですので、
言葉遣いに注意をするのはもちろん、詳しくわかりやすい文章を心がけるのも大切です。
人からLINEを受け取った時には、
決して未読にはせず、返事が必要な連絡に対してはすぐに返事を出すようにしなければなりません。
他人のLINEの文書を打っている画面を覗き見たり、
他人宛のLINEトークを許しを得ずに見たりしてはいけません。

その他、人の話を立ち聞きするのも、人の家庭や心を土足で詮索するのもよくない事です。
人と親しくなると、禮儀を忘れて、何事もいい加減な対応になりやすいものですが、
どんなに親しい仲でも、お互いに禮儀を守らなければ、長く仲良く付き合う事はできません。

親しき仲にも禮儀あり。

この文書から、昔は年齢による上下関係をつくらないようにしていた事が読み取れます。

少なからず昔は、人と人との関係は平等でフラットな社会を目指して教育をしていたと推察します。

しかし何時ごろからか、いや実際昔もあったのだと思いますが、ヒエラルキー的な社会になってしまってます。

年齢、地位、その他もろもろエトセトラ…自分より何か下になる部分がある人に対しては、禮儀がなくなってしまってます。

理想論になりますが、どんな人に対しても誰もが禮う社会があったらと思います。

現実的は無理でしょうが、せめてその気持はこころの片隅に誰もが持てればと考えます。

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